東京高等裁判所 昭和36年(う)492号 判決
被告 飯村七郎
〔抄 録〕
所論は、原判決が被告人の傷害致死の犯行を認めながら、これを防衛の程度を超えた所為と認定したことは、事実の誤認であり、右は判決に影響を及ぼすことの明らかなものである、と主張するにより、記録並びに原判決挙示の各証拠を検討し、更に当裁判所において事実の取調べをした結果を綜合して勘案するのに、被告人が原判示前田峻彦及び渡部侃の両名と摺れ違つた際、被告人の肩と前田峻彦の肩が触れたことから互に反目したが、一旦はそのまま行き過ぎるように見えたところ、十数米過ぎたとき、再び双方が振り返えり互に反目するに至つたのである。併しその時、前田、渡部の両名は、被告人の方を向いて立ち止つたままでいたところ、被告人は右両名のところまで引き返えしてきて、右手に持つた風車を左手に持ちかえて、「この野郎」といいながら、横殴りに前田峻彦の顔面に一撃を加えたため、前田はこれを避けながら、被告人を足蹴りにし、側らの渡部も続いてバンドをもつて被告人を殴打したのである。右の事実によつて明らかなように、摺れ違いに際して肩が触れ合い互に反目する程度で事はすんだところを、被告人は敢て右両名に喧嘩をしかけ、自分から先に暴力沙汰に及んだのである。ところが、相手より意外にも強力な反撃にあつたため、被告人は同所から逃げ出し、原判示野原俊男方前附近で、追つてきた前田に追いつかれそうになつたのであるが、この時目撃証人渡部侃の証言によると、それまで逃げていた被告人と、追つていた前田峻彦とが、双方からぶつかり合うように互に正面から突き当り、やがて被告人は素早くそこから逃げ出した、というのであつて、被告人は前田に追いつかれそうになつたので、同人の方に向き直りざま、ナイフで同人を刺した事実が推認し得るのである。併し検察庁或は原審における被告人の供述によれば前田に追いつかれそうになつたので、ナイフで脅せば相手はひるんで逃げるだろうと思い、相手の胸のあたりに突きつけたところ、相手は「ナイフを捨てろ」といいながら手を振り上げ殴ろうとするので、相手の方に手をのばして、その胸のあたりを突き刺した、というのであつて、被告人が前田を刺すまでの間に、双方に多少言葉のやりとりがあり、僅かながら時間的余裕もあつたようである。(中略)被告人が振り返えりざま直ちに前田を刺したのか、或はそこに多少言葉のやりとりがあつて刺したのか、記録上これを確認はできないが、少くとも被告人は前田に追いつかれそうになつたとき、ナイフをもつてこれに対抗するつもりで、同人の方に向き直り、ナイフを同人に突き刺した事実は明瞭である。その際前田は素手であつたのであるから、これに対し被告人も素手で対決した場合、仮に被告人が腕力では同人に負けるような態勢であつたとしても、この時は一対一の喧嘩であり、これも被告人からしかけた喧嘩であつてみれば、それに負けそうな状況にあつたとしても、これをもつて急迫不正の侵害を受けたとはいいえないのである。従つて被告人がナイフをもつて前田と対決し、これをもつて同人を突き刺し死に至らしめた行為を、原判示の如く、身の安全を守るためやむを得ずなした正当防衛ないしその防衛の程度を超えたものとみることはできない。原判決が被告人の所為を防衛の程度を超えたものと認めたのは事実の誤認であつて、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、この点において原判決は破棄を免れない。
(兼平 関谷 小林)